鍋あり谷あり

テーマを決めずに適当に書いています。

用もないのに富岡駅付近と浪江町に行ってきた。

用もないのに富岡駅付近と浪江町に行ってきた。
前回の原ノ町 http://d.hatena.ne.jp/Nabetani/20160501 の続き。あれから2年。震災から7年余り。

まずは常磐線富岡駅へ。
東京近辺から富岡に行くには特急ひたちで いわき まで行き、そこから常磐線各駅停車
私が乗った特急ひたちは、全席に電源があり、快適だった。


で。富岡着。

駅には「さくらステーションKINONE」が併設( http://www.jrmito.com/press/170920/press_01.pdf )されていて、コンビニもあるし、そばなんかも食べられる。
駅前には真新しい建物のホテルがあった。誰がターゲットなんだろう。

で。
まずは海を目指した。
しかし前回同様、工事中で到達できなかった。残念。

諦めて街に向かう。
途中、小学校と中学校があり、子どもたちが授業を受けていたり、先生が校庭の整備をしていたり。

子供の営みがあるとホッとする。

しかし、その隣の幼稚園は閉鎖されている感じだった。幼稚園には子供も先生もおらず、ただ線量計が立っていた。

街に出ると「さくらモールとみおか」がある。

モール内には、ホームセンター・ドラッグストア・スーパー そして フードコートがある。営業している。素晴らしい。
とりあえず生活には困らない感じなのだろう。


もう少し散歩した後、常磐線代行バスで浪江駅へ。


代行バスは帰宅困難地域を通る。
バス内には線量計があるようで、現在の線量が小さく表示されていた。
客は5〜10名ほどだった。

最初は道中の写真を取ろうかとも思っていたんだけど、窓からの風景を目にすると全然そんな気分にはなれなかった。なので写真はない。
津波が来たわけではないので、建物はしっかり建っている。
七年の歳月の与えたいたみが隠せない建物ばかりではない。遠目には元気そうな建物も多かった。しかし、誰も住んではいない。

国道からそれる道はフェンスで塞がれており、帰宅困難地域への侵入をはばんでいた。

ちょっとおもしろかったのは、信号。黄色点滅ばかりで、ほとんど赤信号はなかった。止まらずどんどん進めるさまは、ほとんど高速道路のようだった。スピードはそんなに出てないけど。


そして浪江駅に到着。

ちなみに、上記の写真にある郵便ポストは、生きている。投函可能。
富岡と違って、駅前にコンビニなどはなかった。


適当に歩いていたら、本屋を発見。買い物しようと近づくと、営業はしていなかった。七年間誰も入っていない感じ。
建物の前には郵便ポストがあったけど、入り口をガムテープで塞いであり、投函できないようになっていた。
ほかにもそういうポストがたくさんあった。


七年間放置されているという雰囲気の建物が数多くあり、カメラを向ける気にはならなかったので写真は少なめ。
撮ったのは、公園の写真ぐらい。

七年間整備しないとこうなるらしい。


浪江といえば、まち・なみ・まるしぇ。というわけで、行ってみた。
コンビニ・コインランドリー・食事処・お土産物屋さん なんかが入っていて、人もわりとたくさんいた。

カフェもあったんだけど、休みだった。代わりに食事処でコーヒーを頼んでひとやすみ。

まち・なみ・まるしぇの写真を撮り忘れた。
ググればたくさんあるのでそちらを見てほしい。


帰りのバスまで時間があったので、海を見るために歩くことにした。


途中、慰霊碑があったので手を合わせに立ち寄った。
ら。
宇宙桜があった。

なんでも、国際宇宙ステーションで八ヶ月半保存された種から発芽したものらしい。放射線繋がりかな。

で。
更に歩いて海についた。海! しかも、見晴台

に登ってもいいらしい。

見晴台から撮った海側

と、陸側

陸側は、今はほとんど更地だけど、もともと港町があった場所。すべて流されたんだと思う。

帰りは疲れたので まち・なみ・まるしぇ までタクシーで。
そこからもう少し散歩した。
途中、きれいな建物のお菓子屋さんがあったから近づいてみたら、ドアに貼り紙があった。
閉店のお知らせか何かかと思ったら。
2011年3月xx日(失念。20日ぐらいだったと思う)に行われるイベントの案内だった。写真は撮らなかった。


営業している店は、だいたい「営業中」というのぼりを立てていた。そうしないと、営業中だとわかってもらえない。
とんかつ屋さんとか、何軒か営業中だった。


浪江町でもケーキ食べたかったんだけど、ケーキ屋さんは見つけられなかった。