はじめに
3/29の金曜に会社を休み、長女と2人で南三陸町へ行ってきた。目的はポストマッピング( http://postmap.org/user/Nabetani/com )ではなく、津波の爪痕を目にしておくこと。
一年前ぐらいに訪れておきたかったと思ったものの、当時は旅行に行く時間が取れる状況ではなかったので仕方なく。無理を言えば震災の前にも訪れておきたかったと思うけれど、震災前には南三陸町という地名を聞いたこともなかったのでそれはもっと仕方がない。
ホテルでは「震災語り部ツアー」というものをやっていて、それが目的でそのホテルにした。バス4台分、150名が参加したとのこと。
ホテルの人は、遠慮せずに観光に来てほしいと言っていた。震災の後は従業員が辞めたりしてなかなか大変だったものの、今では問題ないとのこと。被災地で観光なんて不謹慎とかそういう気持ちになられても、被災地の人達は喜ばない。露天風呂も良かったよ。
以下の写真のとおり、すっかり元通りになったなんてことは全然ないわけだけど、今のうちに行っといたほうがいいとも言える。
壊れた水門とその脇にある小屋
この写真にあるような傾いた建物やひっくり返った建物はもうほとんどなかった。
大きな建物の撤去はほとんど完了し、津波で流された建物があった場所には建物の基礎が見える更地が広がっていた。
線路のなくなった気仙沼線
地図と航空写真が盛大にずれているが、航空写真の方を見てほしい。
線路は津波で流されたのではなく、人間が撤去したとのこと。上記の地点は津波に洗われてないと聞いている。
一方、下記の地点は完全に水没しており、橋が失われている。
わかりにくいかもしれないが、写真の上下方向に線路が走っていた。二枚目は橋が流されている。
防災対策庁舎
震災当時については
南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の状況写真(pdf)
という驚くべき写真がある。あれから2年経った。
屋上にある落下防止用の手すりに捕まって難を逃れようとした人は手すりとともに流され、非常階段の手すりに捕まった人は助かったと言われているとのこと。
我々のバスツアー以外にも多くの人が訪れていた。
更地・瓦礫・雀
陸前戸倉駅からちょっと南に行ったところに瓦礫が積んであった。
語り部ツアーの方の話や Google Earth の「過去のイメージ」機能を見ると、そこは小学校や保育所があり、家や畑があった場所らしい。
今は、海までの 300m ほどの間にあるのは建物の基礎やコンクリート片がころがっている更地と、分別されて高く積まれた瓦礫しかなかった。瓦礫の上には雀の群れがいた。